2010年6月10日木曜日

パプアニューギニア撮影記 Part.1 ゴロカ

≪3/14~3/20≫
初めて降り立った首都ポートモレスビーでは、
噂通りフロントガラスに拳銃の跡がある車にいとも簡単に出会えた。
しかし前もってイメージしていた状況があまりにもひどかったため、
目の前に広がる世界は本当にそんなに治安が悪いのかと疑ってしまうくらいだった。
 翌日、コーディネーターの成田氏と日本大使館に行った。
私たちの意気揚々とした雰囲気とは裏腹に、
彼らは重々しい口で私たちが滞在するポートモレスビー、ゴロカ、タリ、アロタウの治安状況、危険度合いを坦々と告げた。

街には強盗集団がうろついているため彼ら自身も外を出歩けず常に車移動だということ、レイプ事件は日本の約50倍、タリでは近年の資源開発の影響で治安が悪化し、国境なき医師団さえも一度は撤退しているなど語られ、さらに私のボディアートがあまりにも奇抜であるため、できればやってほしくないと本音をこぼされた。

ここパプアニューギニアは植民地の影響でキリスト教が根強く、裸が禁止されていることもあり、
彼らは暴動が起きないか懸念していた。
私としては地味にしていたつもりの服装についても、もう少し地味なものを着るよう指摘された。 

まず最初に行ったのはゴロカ。
外を歩くときは必ず現地のガイドを2人以上付けて歩けと言われ、
1週間前に中学生のレイプ事件があったとも聞かされていたが、思ったより田舎でそれほど危険な印象は受けなかった。
成田氏紹介のガイドのケーもいい人だった。
しかし、やはり近くのスーパーに行く時はガイドが4~5人付いて来た。
スーパー店内を歩く時でさえぴったりと護衛された。

ゴロカの北西10kmほどにあるアサロ渓谷では泥で作ったお面を被るキミニビ族が住んでいて、
その独特な泥装束はマッドマンといわれている。
その村と、そこから1時間ほど登山した所にあるボディペインティングをして踊る人々がいる
グルポカという村の2箇所で、どうしても撮影したかった。

しかしシール枚数に限りがあるのでこの場所で2回分使うわけにはいかず、
シールを貼ったまま移動する必要があった。

以前バリ島でボディアートを行った際、1時間で熱中症になったという経験もあり、
ここ熱帯地域でシールを貼ったままの登山は身体的にもシールの耐久性からも不可能だった。
どうにかしてポーターに私を村まで運んでもらえないかと、ゴロカ行きの飛行機に乗っている時から考えていた。

トレッキングプランの相談の際、ケーに駄目もとで頼んでみると、
あまりにもあっさり承諾され、思わず驚きと喜びと笑いが一緒になったリアクションをしてしまった。
運搬道具も作ってくれるというので図案も描いて渡した。
 グルポカでのボディアートの可・不可がすべてその運搬道具にかかっている。
予約の概念がないといわれる国民性と聞いていたので、その事が気がかりで仕方なかった。
登山前日、本当に作ってくれているのか確認の電話をしたところ、
「すべては明日話すから」と言われ、
どういう意味かわからず不安に満ちた気持ちで当日を迎えた。

今回は助っ人が2人もいたためシール貼りは過去最短の6時間半で完成した。

予定より少し遅れてきたケーは言いにくそうに、3人のうち私だけ追加料金がいると言ってきた。
2箇所の村で一緒にダンスをしてもらう時の料金と運搬費である。

それらを払って車で出発したが、ガイドたちが朝ごはんを買うためにスーパーへ、
山での食材を買いに市場へ、友達の村へ、自分たちの嗜好品ビートルナッツを買いに…
と寄り道ばかりをして一向にマッドマンのいる村に着かなかった。
さらに道路工事で40分くらい足止めを食らった。
雨も降り始めたので本当に今日中に2箇所回れるのか不安になり、
何度も確認したが大丈夫だと言って寄り道を繰り返す。

時間の流れがゆっくりな彼らとは裏腹に、着実に劣化していくシールを見ては焦る気持ちをぐっと堪えた。


ようやく車を降りてマッドマンの所へ向かうことになったが
「30分ほど山を登らなければならない」
と、その時初めて聞いた。

不満は膨れ上がった。

小雨の中、仕方なくカッパを着て汗をなるべくかかないように慎重に登った。運んでくれないのかと尋ねたが、遠くの方を指さしてあそこまで行ったら運ぶと言うだけだった。
ここからあと5~10分で村に着くというポイントでケーが村へ様子を見に行き、その間休憩した。

しばらくして帰ってきて、まだ踊りの準備をしているからあと10分くらいしたらまた様子を見に行くと言い、
それを2、3回繰り返しやっと出発した。しかしもう後5分くらいの距離なら運んでもらわなくていいからお金を返してもらいたい…と思いながら登っていると、友人の驚きの叫び声ではっとした。


そこには期待もしていなかった形状の運搬用腰かけにコケや草で飾りを施してあり、
体に泥を塗り軽装備をした村人が4人待っていた。
その衝撃と感激は、それまでの疲れや不満を吹き飛ばしてくれた。
後に聞いた話では、その運び方は酋長や身分の高い人にしかしない運び方らしいが、単純にその腰かけの素晴らしさに興奮し、感謝の気持ちでいっぱいだった。



 マッドマンは5~6人でと頼んでいた所4人しかいなかったが、気分は高揚したままパフォーマンスを迎えた。
幽霊を表現しているという踊りは静かでゆっくりとした動きである。
村人の見守る中静かに始まり静かに終わった。

結果はというと…

思い描いていた写真・映像は撮れていなかった。
すっかり落胆してしまい、それがさらに疲労感を助長させた。
カメラワークもあるが、ダンサーが広範囲に点在しすぎて収まりが悪かった。

 
 
昼食を取ってから、なぜか同じ場所でモコモコダンスというのをするらしく、
ケーに今度はカメラに収まるよう、まとまった範囲で踊ってもらうようにだけ頼んだ。

しかしメインに考えていたマッドマンがうまくいかなった事と徹夜の準備の疲労で、
ここは私が望んでいたボディペインティングをする村ではなくマッドマンと同じような風貌のダンスならもういらないとさえ思っていた。

とにかく早くすべてを終えて休みたかった。


ところが現れた人たちはボディペインティングを施していた。

実は私のいる所はすでにグルポカだったのだ。
そのダンスは、腰を振り、首をかしげ、「モコ!」と叫び、見る者に笑いを引き起こさせるようなユニークでかわいいダンスだった。
それを見てまた一気に気分は高揚し疲れも吹き飛んだ。
ダンサーの一人が「君は真ん中で君の踊りをしていていいよ」と言ってくれたおかげで自由に踊ることができ、
マッドマンの時よりも村人との一体感を感じることができた。
観衆からの笑い声もマッドマンの時より多く、皆が喜びに満ち溢れていた。

終わった後村人と記念撮影をし、気分の高揚した彼らが私を囲み、離さなかった。
洞窟やお祈りをする神聖な場所に行こうと誘われ、そのまま楽しい時間を過ごしていたが、私が蜂に4箇所も刺されるという悲劇で幕は下りた。


今まで私は、ダンスに対して身構えていたところがあった。
高い身体能力や洗練された技、それらによって見る者を感動させられるものに憧れを抱き、
また目指そうとしていた。

しかし、モコモコダンスを見て、同時に体験することによって、
もっと心の力を抜いた表現で、見る者の心も軽く楽しいものへ導くダンスも有りなのだと実感した。
今後活動していく上で大きな道しるべとなりうる経験となった。