2010年11月20日土曜日

北陸中日新聞にてコフネコ特集掲載

本日20日の北陸中日新聞(石川・富山)にてコフネコの特集記事が紙面の半面に掲載されてます。
なぜ現在の作風に至ったかの生い立ちを踏まえた経緯、作品に込める思いなどが綴られています。
もし暇な方は暇つぶしに見てみてください~。

http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/popress/pdf/20101120.pdf

ちなみに今、先週からベルギーにいまーす☆
ベルギーはというと…

さくらんぼのビールがおいしい
建物がおとぎ話みたいにかわいい
犬とカモメが半端なくデカい
日の出が遅いし、こっちの冬はガチ寒い

雑な解説ですいません
なにせまだ来て一週間ほどなもので。

短期留学で年末までいることになってますが、やっぱりヨーロッパは肌に合わないため、
12月頭にちょっと息抜きがてらモロッコに一週間行きます笑

それではまた!

2010年10月28日木曜日

所さんの笑ってこらえて

に、私がちょろっと出ましたー。
実は先月の個展の時に取材を受けてて、それが昨日放映されたそうです。

というのも、「ダーツの旅」の雑誌バージョンができたらしく
それが「Clubism (クラビズム)」という北陸(石川?)雑誌にあたって、たまたまその「クラビズム」が私の取材をすることになってたので、それを聞いた番組スタッフが同行してきたという感じです。

個展初日のパフォーマンスを準備段階から撮られていたので、
連日の寝不足で顔むくんでなかたっけ?! とか
ちゃんと化粧してなかったよな??! とか
どんな風に映ってるのか恐ろしくて恥かしくて事後報告になりました笑

自分自身、アフリカンダンスの練習もあって放送は見てないですが
いろんな人から「出てたよね!?」メールが来て、意外と見てるんだなぁと驚きです。


今月の「Clubism (クラビズム)」のEditer's Eyeってコーナーにちょろっと私が載ってるので、北陸の方々は良かったら見てみてください~。
あ、北陸以外でもネットで買えるみたいですよ!

今週の30、31日、11/1は美大祭です!
30日4時からアフリカンダンスのステージがあるので、お近くの方ぜひ見に来てください*

2010年10月6日水曜日

新作映像公開

つい先日YouTubeに映像作品をアップしました。
内容は、2009年の東京ビッグサイト、2010年春のパプアニューギニア(ゴロカ、タリ、アロタウ)、夏にドイツのベルリン、先月パプアニューギニアのゴロカショーでのBody Artが詰まってます。

そうそう、先月1週間パプアニューギニアに行っていたのですが今回も無事還ってこれました。
実は、行きの飛行機がけっこーガラガラだったのでどうしたんだろうと思っていたら、ここ2~3ヶ月で首都の空港で死人が出る銃の乱射事件が2件くらいあったらしいです。そんで外務省の危険度レベルがアップしてしまい、JALとかANAのゴロカショーツアーがキャンセルになっていたとか。。。
そして今回のゴロカショー際中、会場近くで部族同士のファイティングがあって死人が出ていたそうで…パプアではこういったことは日常茶飯事ですが、毎回いろいろ考えさせられます。

ゴロカショーとは、独立記念日の大きなお祭りです。
大きな広場に各地の部族が20人前後ずつ終結して3日間踊ります。
とにかくみんな衣装が派手ででかくて独創的で、涙が出るくらいかっこいいです。
今回改めてパプアのすばらしさに感動しました。

そんな彼らに負けないくらいのインパクトを持って、響きあうためにはどうしたらいいか。。。
と悩み、あえて飾らない方向を選んで頭を剃りました。
もうずっと伸ばし続けていた長い髪を切るのにはやっぱり勇気が必要で、腹をくくるのに時間がかかりました。
でもそれによってみんなを喜ばせることができる、
と、パプアの大地でお気に入りのロングヘアーとおさらばしました。
髪よ、しばしのお別れなり。



今回人生初のスキンヘッドだったので、いったいどんなBody Artになるのかまったく未知でした。
ボディメイキング最中、シールを貼りなれてるはずの友人が「気持ち悪い!」「怖い!」を連発し、「宇宙人のサイボーグを作り出してる博士の気分」とまで言うので、私も不安になり『みんな喜ぶどころか恐れおののいて逃げてしまったらどうしよう』と本気で心配しました。
しかし、顔のメイクでなんとか人間味を出すことができました。


でも、まして私はよそ者。
こんな私がその国の独立記念日に参加して彼らの規律を乱してしまうのではないか。
みんなに受け入れてもらえるかどうか不安とドキドキで朝を迎えました。

ショーといってもちゃんとした舞台やプログラムがあるわけでもありません。
ダンボールの裏に村名や部族名を書いたプラカードを持って昼前後にそれぞれやってきます。
私もダンボールで自分のプラカードを作って入場。



反応は予想以上にいいものでした。
各部族ごとに輪に入ってもいいか尋ねてセッションしたのですが、喜んで受け入れてくれ、その周りにはあっという間に人だかりができました。
集まってきた彼らは私の皮膚がいったいどうなっているのか気なったのか、踊ってる最中タッチしてくる人がちらほら。
私が踊りながらもリアクションを返すとさらに大喜び。
次第にみんなタッチし始めて大盛り上がりでした。

その部族の輪から抜け出して次のセッション相手を探しに行っていると、気づくと背後にはさっきの人だかりがぞろぞろとついて来ていました。
そのうち追いかけっこへと発展。
逃げれば大群に追いかけられ、はたまたちょっかいを出してきた男を追いかけ、もうなんじゃこりゃ状態。



2010年8月30日月曜日

コフネコトモ子展




展示内容
絵画、映像、写真、衣装帽子、インスタレーション、パフォーマンス

期間
2010年9月11日(土)~9月27日(月)

時間
10:00 ~ 18:00 *展覧会初日11日(土)のみ18:30開場

定休日
水曜日

場所
金沢アートグミギャラリー(近江町市場横)
石川県金沢市青草町88番地 北國銀行武蔵ヶ辻支店3階
www.artgummi.com

入場料
無料

主催
金沢美術工芸大学、北國銀行

協力
金沢アートグミ

関連イベント
オープニングセレモニー
9月11日(土)18:30~
テープカット
コフネコトモ子 パフォーマンス



です!
ぜひお越しください!

2010年8月25日水曜日

iPhoneアプリで写真集発売


一週間ほど前にiPhoneアプリでコフネコトモ子の写真集発売しました!

過去に、金沢/バリ島/東京(デザインフェスタ2回分)/インドネシアのパプア州で撮影したBody Art写真に、1枚ずつコメントをつけてます。

いかんせん、私はiPhoneを持ってないのでタイトルはちょっと正確には覚えてないのですが、名前と、Body ArtとかSOUL DANCEとかついてると思います。
iPhonをお持ちの方!100円台で購入できるので、アイコンでこの日記に表示してる写真をみつけたら、ジュース買う感覚でぜひ(笑)

よろしくどうぞ

2010年8月18日水曜日

ドイツから帰国


撮影記の方はしばし休んで。。。
12日間ほどドイツのベルリンにベルリン東京国際交流展で行っていました。

今回初ヨーロッパでしたが、着いたその日から初めて来たとは思えないくらい自分にとって自然で、自然で、不思議なくらいスーパーナチュラルでした。

ヨーロッパは嫌いでしたが、私が出会った人はみんないい人で、ドイツはめちゃいいとこでした!
そして夏とは思えなくらい涼しくて夜が寒くて9時半くらいまで空が明るい!
道行く人、ショップ内、電車内、みんな犬を連れて歩いていて、猫は1匹しか見かけませんでした。
さらに首都とは思えないくらい緑がいっぱいで、食べ物が安くて。。。
夏なら住んでもいいかもしれません。

滞在中は展示準備、街中でのパフォーマンス、会場でレセプション時のパフォーマンス。。。とハイパー忙しく睡眠不足も解消されないまま帰国しました。
反応は予想してたより良く、周りが自然に協力してくれて、なんとか実現できたという感じです。
ありがとう皆様。


さあ、個展の準備です。
パプアニューギニア、ドイツでのBody Art作品、絵画、映像等を展示予定です。
9月に金沢のアートグミで開催するので近くなったらまた告知します。

撮影記、ドイツ写真は個展後にアップしたいと思います。

2010年7月6日火曜日

パプアニューギニア撮影記 Part.2 タリ

≪3/20~3/22≫
ゴロカから首都ポートモレスビーに戻り、
ここで先に帰国するアシスタントである友人を一人見送った。
次はサウスハイランド州に位置し、
資源開発の反対派による橋の爆破事件が起こるなど治安が悪化している、
最も気合いが必要と予想されるタリであった。

ところがグルポカでパフォーマンス後に体を洗う際、山の冷水しかなかったためにひいてしまった風邪が
ここで一気に悪化し発熱にまで及んだ。

そうはいってもすでにタリ行きのチケットはとってあるため、
翌朝フライトの2時間前から空港に行きチェックインの列に並んだ。

しかし列の進みが異常に遅く、カウンターに着いたのはフライト時間が15分後に迫った時だった。
こっちは焦っているにもかかわらず、渡したチケットを持って中に入って行き、しばらく出てこなかった。
隣のカウンターの西洋人も同じような状況らしく「朝7時から並んでるんだ!」とずっと激怒している。
ようやく出てきたと思うと「No, weight」と言って何やら英語で説明してくれるがいまひとつ理解できない。

現地コーディネーターの成田氏に電話して代わりに話を聞いてもらうと、
どうやら首都で亡くなったタリ人の遺体が積まれており、
その葬式で里帰りする人が大量に乗り込んで満席状態だということだった。
気性の荒いタリ人に降りろと言って暴動を起こされても困るので航空会社も何もできない状態らしい。

諦めて航空会社が手配してくれるその日のホテルが決まるのを待っていると、
人だかりの中であの西洋人の怒りが頂点に達し、叫び声が空港内に響き渡っていた。
あの人ならタリ人とやり合えるのではないかと思いながら、
今にも殴り合いが始まりそうな状況をハラハラしながら遠巻きに見物した。
こんな常識がまかり通っているタリとは、いったいどれほどなのか苛立ちも恐ろしさも通り越して笑いがこみあげてきた。

成田氏の配慮もあり空港側が島のホテルを手配してくれた。
空港から車で40分程走り、さらにボートで15分ほど海を渡った静かなところだったおかげで、その日はゆっくり休むことができた。
この頃からビデオカメラの液晶画面が突如白くなる現象が起き始める。

翌日は無事タリに着くことができた。
空港は、空港というより柵で囲まれただだっ広い土地だった。
小雨の降る薄暗い曇り空の下、その柵の周りを取り囲むように異常なまでの人だかりができていて、旅客機から降りてきた私たちをじっと見張っていていた。
その人の多さ、異様さにはゾッとするものがあった。
荷物も山積みにされた荷台からそのまま引き渡される。
そこで早くも航空会社のスタッフが怒りはじめ、他のスタッフにも連鎖していく。
なるほど橋の爆破も勢いでやりかねない。

タリでは、村の方に入ってしまえば安全だと言われ、空港から1時間近く車で走った村にあるワリリロッジに5泊することになっていた。
成田氏の紹介のガイド、トーマスとトニーが用意してくれていた車はなぜか警察の車だった。
しかもチャーターは聞いていた通り150キナ(約6000円)と高額で、
貧乏旅行の私たちにとってはかなりの痛手であった。

トニーが「スーパーで5泊分の食料を買う」と言って止まったその場所にある建物はスーパーとは程遠い、
密売でもしているのではないかと思われる古びた倉庫であった。
トニーの忠告通り必要なお金だけ握りしめ、突き刺さる周囲の視線の中、薄暗い倉庫に入った。

警戒態勢の私たちをよそに、次から次へと私たち2人分の食料にしては多すぎる量を買い込もうとするガイド2人。
不信感は募り狭い倉庫内をぐるぐると回った。
意を決して聞いてみると4人ともロッジに泊まるから4人分買うのだと言う。
そんな事は聞いてないと思い、ガイドはパフォーマンスの時だけでいいと説明したが、
なぜそんなことを言うのか理解できない様子だった。
鉄格子で守られたレジ横には、頭の高さまで積み上げられた段ボール上から
私たちを得意げに見下ろす中国人がどっしりと腰をおろしていた。
不穏な気持ちをぬぐえないまま、鉄格子でふさがれた入口に群がる人だかりをかき分けて倉庫を出た。
やはりここは何かが違うと感じざるをえなかった。

                                        -続く-

2010年6月10日木曜日

パプアニューギニア撮影記 Part.1 ゴロカ

≪3/14~3/20≫
初めて降り立った首都ポートモレスビーでは、
噂通りフロントガラスに拳銃の跡がある車にいとも簡単に出会えた。
しかし前もってイメージしていた状況があまりにもひどかったため、
目の前に広がる世界は本当にそんなに治安が悪いのかと疑ってしまうくらいだった。
 翌日、コーディネーターの成田氏と日本大使館に行った。
私たちの意気揚々とした雰囲気とは裏腹に、
彼らは重々しい口で私たちが滞在するポートモレスビー、ゴロカ、タリ、アロタウの治安状況、危険度合いを坦々と告げた。

街には強盗集団がうろついているため彼ら自身も外を出歩けず常に車移動だということ、レイプ事件は日本の約50倍、タリでは近年の資源開発の影響で治安が悪化し、国境なき医師団さえも一度は撤退しているなど語られ、さらに私のボディアートがあまりにも奇抜であるため、できればやってほしくないと本音をこぼされた。

ここパプアニューギニアは植民地の影響でキリスト教が根強く、裸が禁止されていることもあり、
彼らは暴動が起きないか懸念していた。
私としては地味にしていたつもりの服装についても、もう少し地味なものを着るよう指摘された。 

まず最初に行ったのはゴロカ。
外を歩くときは必ず現地のガイドを2人以上付けて歩けと言われ、
1週間前に中学生のレイプ事件があったとも聞かされていたが、思ったより田舎でそれほど危険な印象は受けなかった。
成田氏紹介のガイドのケーもいい人だった。
しかし、やはり近くのスーパーに行く時はガイドが4~5人付いて来た。
スーパー店内を歩く時でさえぴったりと護衛された。

ゴロカの北西10kmほどにあるアサロ渓谷では泥で作ったお面を被るキミニビ族が住んでいて、
その独特な泥装束はマッドマンといわれている。
その村と、そこから1時間ほど登山した所にあるボディペインティングをして踊る人々がいる
グルポカという村の2箇所で、どうしても撮影したかった。

しかしシール枚数に限りがあるのでこの場所で2回分使うわけにはいかず、
シールを貼ったまま移動する必要があった。

以前バリ島でボディアートを行った際、1時間で熱中症になったという経験もあり、
ここ熱帯地域でシールを貼ったままの登山は身体的にもシールの耐久性からも不可能だった。
どうにかしてポーターに私を村まで運んでもらえないかと、ゴロカ行きの飛行機に乗っている時から考えていた。

トレッキングプランの相談の際、ケーに駄目もとで頼んでみると、
あまりにもあっさり承諾され、思わず驚きと喜びと笑いが一緒になったリアクションをしてしまった。
運搬道具も作ってくれるというので図案も描いて渡した。
 グルポカでのボディアートの可・不可がすべてその運搬道具にかかっている。
予約の概念がないといわれる国民性と聞いていたので、その事が気がかりで仕方なかった。
登山前日、本当に作ってくれているのか確認の電話をしたところ、
「すべては明日話すから」と言われ、
どういう意味かわからず不安に満ちた気持ちで当日を迎えた。

今回は助っ人が2人もいたためシール貼りは過去最短の6時間半で完成した。

予定より少し遅れてきたケーは言いにくそうに、3人のうち私だけ追加料金がいると言ってきた。
2箇所の村で一緒にダンスをしてもらう時の料金と運搬費である。

それらを払って車で出発したが、ガイドたちが朝ごはんを買うためにスーパーへ、
山での食材を買いに市場へ、友達の村へ、自分たちの嗜好品ビートルナッツを買いに…
と寄り道ばかりをして一向にマッドマンのいる村に着かなかった。
さらに道路工事で40分くらい足止めを食らった。
雨も降り始めたので本当に今日中に2箇所回れるのか不安になり、
何度も確認したが大丈夫だと言って寄り道を繰り返す。

時間の流れがゆっくりな彼らとは裏腹に、着実に劣化していくシールを見ては焦る気持ちをぐっと堪えた。


ようやく車を降りてマッドマンの所へ向かうことになったが
「30分ほど山を登らなければならない」
と、その時初めて聞いた。

不満は膨れ上がった。

小雨の中、仕方なくカッパを着て汗をなるべくかかないように慎重に登った。運んでくれないのかと尋ねたが、遠くの方を指さしてあそこまで行ったら運ぶと言うだけだった。
ここからあと5~10分で村に着くというポイントでケーが村へ様子を見に行き、その間休憩した。

しばらくして帰ってきて、まだ踊りの準備をしているからあと10分くらいしたらまた様子を見に行くと言い、
それを2、3回繰り返しやっと出発した。しかしもう後5分くらいの距離なら運んでもらわなくていいからお金を返してもらいたい…と思いながら登っていると、友人の驚きの叫び声ではっとした。


そこには期待もしていなかった形状の運搬用腰かけにコケや草で飾りを施してあり、
体に泥を塗り軽装備をした村人が4人待っていた。
その衝撃と感激は、それまでの疲れや不満を吹き飛ばしてくれた。
後に聞いた話では、その運び方は酋長や身分の高い人にしかしない運び方らしいが、単純にその腰かけの素晴らしさに興奮し、感謝の気持ちでいっぱいだった。



 マッドマンは5~6人でと頼んでいた所4人しかいなかったが、気分は高揚したままパフォーマンスを迎えた。
幽霊を表現しているという踊りは静かでゆっくりとした動きである。
村人の見守る中静かに始まり静かに終わった。

結果はというと…

思い描いていた写真・映像は撮れていなかった。
すっかり落胆してしまい、それがさらに疲労感を助長させた。
カメラワークもあるが、ダンサーが広範囲に点在しすぎて収まりが悪かった。

 
 
昼食を取ってから、なぜか同じ場所でモコモコダンスというのをするらしく、
ケーに今度はカメラに収まるよう、まとまった範囲で踊ってもらうようにだけ頼んだ。

しかしメインに考えていたマッドマンがうまくいかなった事と徹夜の準備の疲労で、
ここは私が望んでいたボディペインティングをする村ではなくマッドマンと同じような風貌のダンスならもういらないとさえ思っていた。

とにかく早くすべてを終えて休みたかった。


ところが現れた人たちはボディペインティングを施していた。

実は私のいる所はすでにグルポカだったのだ。
そのダンスは、腰を振り、首をかしげ、「モコ!」と叫び、見る者に笑いを引き起こさせるようなユニークでかわいいダンスだった。
それを見てまた一気に気分は高揚し疲れも吹き飛んだ。
ダンサーの一人が「君は真ん中で君の踊りをしていていいよ」と言ってくれたおかげで自由に踊ることができ、
マッドマンの時よりも村人との一体感を感じることができた。
観衆からの笑い声もマッドマンの時より多く、皆が喜びに満ち溢れていた。

終わった後村人と記念撮影をし、気分の高揚した彼らが私を囲み、離さなかった。
洞窟やお祈りをする神聖な場所に行こうと誘われ、そのまま楽しい時間を過ごしていたが、私が蜂に4箇所も刺されるという悲劇で幕は下りた。


今まで私は、ダンスに対して身構えていたところがあった。
高い身体能力や洗練された技、それらによって見る者を感動させられるものに憧れを抱き、
また目指そうとしていた。

しかし、モコモコダンスを見て、同時に体験することによって、
もっと心の力を抜いた表現で、見る者の心も軽く楽しいものへ導くダンスも有りなのだと実感した。
今後活動していく上で大きな道しるべとなりうる経験となった。



2010年5月7日金曜日

更新遅れましたが、無事パプアニューギニア(PNG)から帰国して参りました。
実は出発前こんな事がありました。


本屋を駆け巡った結果、行き先ののガイドブックが絶版という事実が発覚。
旅立ち1週間ちょい前、それでも何か無いかとネットで探していると日本で唯一のPNGガイドブックを発見。
その本はネット販売のみで、HPに発注メールのフォーマットがあったので記入しかけたが、何日で届くか気になったので電話してみた。
するとそこのおじいさん社長が出て

社長:「PNGに行くのは初めてですか?」
フネ:「はい」
社長:「どのくらい行かれるのですか?」
フネ:「1カ月近く。」
社長:「ぇえ!誰と何人で?…ホテルは予約されてますか?」
フネ:「いいえ、取ってません。女2人です。」
社長:「ええ!!女2人!?知り合いはいるんですか?国内線チケットは取りました?」
フネ:「いいえ…(汗)」
社長:「一刻も早く手配なさってください~!!危険すぎます!まず必ず国内線は日本で予約して、それから~・・・・・・」

と、何も知らない私に現地情報をあれこれ教えてくれ、女二人ということでかなり心配され、その後も何回か電話をかけてきてくれた。
とりあえず国内移動はほぼ飛行機になるらしく、日本で取ると40%OFFになるとか。
そこで友達がPNGの航空会社に電話をすると、たまたま支社長が出た。
そこでも前回と同じような質疑応答が繰り広げられ、
「ホントにこれは命の電話だよ!僕が電話に出るなんてめったに無いからね!このままじゃ飛び立たせれないからすぐ営業所に来て!」と。

数日後、言われるまま二人で航空会社に行き、現地のコーディネーターを紹介してもらった。その人と現地ホテル情報やガイドなどのやり取りをした。支社長のお願いともありタダで色々協力してくれるようだった。
国内線はホントは変更不可でとらなきゃ安くならないのに、支社長が権力でうまいことやってくれ、現地に行ってから状況に合わせてチケットを確定できるようにしてくれた。

そして出発前日、旅の終盤に合流する予定のカメラマンと打ち合わせをしているとその人のもとに「今度PNGの親善大使になる議員と飲んでるから今から来いよ!」と、電話が。

なんだかよくわからないが凄い展開になり、衆議院の飲み会に同席してしまった。
格式高いホテルの御座敷の宴会場?世界が違いすぎてなんと表現したらいいかわからないが周りはスーツに七三分けムース。
もはや自分が異物混入にしか思えない状況。
しかしお酒の席もあって意外とフレンドリー。
親善大使ではなく事務局長になるらしいが、3月末にPNGに行くらしい。どんぴしゃで私たちとかぶっているので会えないか期待が膨らんだ。
最後、議長(?)の長い長い挨拶を聞き、一本締めまで参加して帰った。

ここまでとんとん拍子に事が進んだあげく、PNG事務局長に会えるミラクルまで起きて浮足立っていた。
PNGの大統領にも会えるんじゃない?!なんてはしゃいでいた帰りの夜道、女性が立っていた横を通り過ぎようとするとその人がふらふらと歩きだした。
距離感とか挙動が変な感じがし、気が狂った人かと思った瞬間友達に引きとめられた。よくよく見てみると、その女性のパンツは足首まで下がっていた。

びっくりして立ちすくんでしまった。
友だち曰く殴られたのか口から血が垂れていたそうで、もう明らかにレイプ直後。
その女性はそのままふらふらと道路を突っ切って、反対車線側にある警察署に駆け込んでいった。

えぇぇぇぇぇぇー!!!???

二人ともしばらく放心。そしてこれはお告げだという結論に陥った。
PNGなめんなよ、 気引き締めて行けや、と。


こんな事があり、当初は相当な覚悟をしていきましたが、色んな人に助けられ、
これと言った事件にも巻き込まれず、何も盗まれず、感染病にもかからず、足の裏をざっくり切ったくらいで済みました。日焼けで皮膚が脱皮し続けてますが。


長くなってしまったのでちょっとずつ旅行記書きたいと思います。

2010年3月8日月曜日

Body Art In PAPUA

展示も終わったことだし、昨年9月にインドネシアのパプア州で撮ってきた写真をごく一部ですがついにお披露目です。








                    ※ Kanazawa College of Art Collection


























Photographer, Assistant/Chinami Hiramatsu
Body Art/Tomoko Kofuneko




そして13日から1ヶ月ほど、また撮影で海外に行ってきます。
今度の国はそうとうヤバイです。
エイズ発症の地で国民の80%が感染していて、山賊海賊、町にも拳銃を持った強盗集団うようよ。
5歩歩けば引ったくられる?みたいな。首都は昼間でも出歩くなといろんな人にアドバイスをもらい。。。
マラリアは常ですが今コレラが流行ってるとか何とか。
3月は政権交代があるため暴動が起きる可能性大。
そして東京より物価が高い!


なぜこんなところに行くのか。
それは第一にチョイスミス!? 時期的にも大失敗; 
第二に撮りたいイメージの写真がここでしか撮れない!!
最初南アフリカに行こうとしてましたが、今ワールドカップうんぬんで治安が悪い。もうちょい安全なところへと思って選んだ国が、、、南アフリカより治安極悪。

まぁここまで言ってしまえば何処の国だかわかってしまう人いそうですが、無事帰って来れたらまた日記に書きます。


あぁ神様、どうか生きて帰ってこれますように。

2010年2月6日土曜日

You Tube



過去の Body Art のスライドショーを You Tube にアップしてみました。
また時間があれば昨年9月に撮ってきた写真も合わせてアップしたいと思います。